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基礎研究離れで日本企業停滞 ノーベル賞は過去の成果、遠い新産業創出 (1/2ページ)

 携帯電話やパソコン、電気自動車などに使われるリチウムイオン電池を開発した研究者3人が今年のノーベル化学賞に輝いた。その一人は旭化成名誉フェロー、吉野彰。吉野は5日、授賞式が開かれるスウェーデンのストックホルムに向け旅立った。吉野の受賞は日本企業が基礎研究で世界をリードした時代の成果だ。だが、基礎研究という「創造の場」が企業から失われて久しい。

 失った「創造の場」

 受賞対象となる吉野の研究は1981年に始まった。「元々、電池とは一切関係のないテーマだった」と吉野は言う。

 きっかけは筑波大名誉教授、白川英樹が77年に発見を報告した導電性高分子「ポリアセチレン」との出合い。白川は2000年のノーベル化学賞を受賞する。「電気を通すプラスチックという、とんでもない新素材。何に応用するのが最適かを考え、用途を調べた」

 目標を「電池の電極への応用」と定めて研究する中で1985年、より高性能の炭素材料にたどり着く。ここまでが基礎研究で、その後は製品化に向けた研究を進め、92年の発売に至る。

 「当時は企業の基礎研究が華やかなりし頃。新しいことに挑戦するんだという空気に満ちていた」と京都大教授、山口栄一。自身も79年から約20年間、NTTで半導体の基礎研究に携わった。

 研究で企業は大学を圧倒。学会発表の主役も企業の研究者だった。「大学の先生の発表内容は、僕らが5年前か10年前にやった研究ばかり。こちらが真剣勝負の質問をしないので、彼らもそれが分かっていて、情けないと思っていたそうだ」

 大学より1桁多く

 山口によると、その頃、研究者1人当たりの年間の研究費は企業が2000万~3000万円なのに、大学は1桁少ない200万~300万円。「『なまくら研究』しかできないのは仕方なかった」

 この時期の企業研究者のノーベル賞受賞が21世紀に入って続いている。

 島津製作所シニアフェローの田中耕一は、87年に発表したタンパク質の質量分析技術の開発で2002年の化学賞を受賞。14年の物理学賞は、青色発光ダイオードの発明で赤崎勇、天野浩、中村修二の3人に贈られた。

 赤崎は1964年から名古屋大教授となる81年まで松下電器(現パナソニック)東京研究所(川崎市)に在籍。現在、米カリフォルニア大教授の中村は79年に日亜化学工業(徳島県)に入社し、実用化を成し遂げた。

 米に追随、研究所縮小・廃止相次ぐ

 ところが90年代前半のバブル崩壊後、経営で短期的な成果を重視する傾向が強まり、企業は成果が出るまでに時間がかかる基礎研究から撤退を始める。米国式の「株主重視経営」が広まった時期でもある。

 研究所の縮小、廃止が相次ぎ、所属していた研究者は大学や韓国、中国の企業に流出。企業からの論文は減り続け、今やピークだった96年の半分程度となっている。

 企業の基礎研究離れは米国が先行した、と文部科学省科学技術・学術政策研究所の総括主任研究官、富澤宏之は言う。

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