【専欄】文革はまだ終わっていない 元滋賀県立大学教授・荒井利明

 毛沢東が文化大革命(文革)を始めたのは半世紀以上も前のことで、「文革は遠くなりにけり」と思わざるを得ないが、文革に深く関わった人にとっては決して過ぎ去った出来事ではない。北京大学で造反派のリーダーになった聶元梓(じょう・げんし)の回想録は、文革がまだ終わっていないことを教えてくれる。

 文革が始まった1966年5月、北京大学の党幹部だった聶元梓は同僚ら6人と連名で、大学の党委員会のトップらを批判する大字報(壁新聞)を貼り出した。それを知った毛沢東は「全国初のマルクス・レーニン主義の大字報」「20世紀60年代の北京コミューン宣言」と褒めたたえた。この大字報は新聞やラジオを通じて全国に伝えられ、各地で造反運動の発生を促す役割を果たした。

 今日、この大字報は、江青(毛沢東の妻)の参謀ともいわれた康生とその妻の意を受け、大学のトップらを陥れるために書かれたとみなされている。だが、聶元梓はその党公認の評価に対し、昨年10月に香港で刊行された回想録「我、文革の渦中で」(2005年の「聶元梓回憶録」の増補改訂版)において、事実とは異なると反論している。

 聶元梓によると、大字報を書くにあたって、康生の妻に、大字報を書いても構わないかとの相談はしたが、何を書くかなどについては聞かれもせず、話もしなかったという。大字報の内容は筆者たちで相談して決めたことで、誰かに指図されたわけではないと主張している。

 この大字報によって聶元梓は造反派の象徴的人物となるのだが、毛沢東が紅衛兵ら大学の造反派を弾圧した1968年夏、隔離審査の身となり、自由を失った。文革終焉(しゅうえん)後の78年に逮捕され、83年には文革初期の言動によって反革命宣伝扇動罪・虚偽告訴罪で懲役17年に処せられた。

 聶元梓は、文革中に誤りは犯したが、罪は犯していないとして、判決に異議を唱えている。判決は北京大学の学生だったトウ小平の長男が校舎から飛び降りて身体障害者になったことも聶元梓の罪に数えているが、そのときには既に隔離審査されており、判決は事実を歪曲(わいきょく)していると反論している。

 聶元梓はまた、2014年9月、習近平に書簡を送り、判決は間違っているとして、見直しを求めている。

 1921年4月生まれの聶元梓は間もなく97歳になる。このままでは死ねないとの強い思いがあるのだろう。(敬称略)