許されぬテロ事件の区切りに感情渦巻く 中年よ、平成の語り部たれ! (1/4ページ)

山梨県上九一色村(当時)のオウム真理教総本部に捜索にカナリアを入れた鳥かごを持って向かう捜査員=1995年3月22日
山梨県上九一色村(当時)のオウム真理教総本部に捜索にカナリアを入れた鳥かごを持って向かう捜査員=1995年3月22日【拡大】

【常見陽平のビバ!中年】

 2018年7月6日、地下鉄サリン事件をはじめ一連のオウム真理教の事件に関し、教祖の麻原彰晃や幹部など死刑囚13名中7名に対し、刑が執行された。ちょうど、私が教えている大学の講義が始まる前に、スマホのポップアップで知った。その後はずっと教壇に立っていたので、ニュースから離れざるを得なかったが、次々に刑が執行される様子がテレビやネットで報じられていたという。

 論点は山ほどある。異例の7人同時の死刑執行、時効が成立しているとはいえ一部の未解決事件があること、数少ない死刑が存続している先進国であることに対する国際的な批判、死刑による麻原彰晃の神格化の懸念、後継組織とも目される団体の信者たちの動向、死刑囚の家族への嫌がらせ、番組中にどんどん死刑執行が伝えられるショー化した報道などだ。いや、まだまだ網羅しきれていない。

◆「平成」は終わったのか?

 私は「麻原彰晃に死刑執行」の報に接し、一瞬「平成が終わった」という感情が沸き起こった。しかし、次の瞬間に「いや、違う」と冷静になった。そうした見方については、一部の全国紙が評したように、平成のうちに決着をつけようとしている意図のようなものも感じてしまう。

 一連のオウム真理教に関する報道は、やや冷静になって交通整理をしなくてはならない。たとえば、幹部を中心に起こした事件は、刑事裁判においても断罪され、罪が確定した。多くは刑も執行された。

 もっとも、一口にオウム真理教といっても、事件を起こした教団幹部と、普通の信者は分けて考えなくてはならないだろう。

当時の空気感を伝える