「異なる知の交換」を阻む文化的な特徴 まず1人でものを考えて判断しよう (1/3ページ)

【安西洋之のローカリゼーションマップ】

 異なる知識や経験を組み合わせることで、新しいタイプのモノやコトが生まれる、と言われる。ぼくも散々色々なところで、この重要性について書いて語ってきた。

 ミラノ工科大学のロベルト・ベルガンティが『デザイン・ドリブン・イノベーション』のなかで、この異なる知のネットワークの威力に触れているのを読み、「これはソーシャルライフだ」と思った。

 気のおけない友人やその友人とカフェでアペリティフをともにする、レストランや自宅で食事をしながらさまざまな話題について雑談を交わす。あるいはアートギャラリーの展覧会のオープニングパーティでキュレーターの企画意図を論じあう。

 このようなソーシャルライフをミラノの日常生活で経験しているぼくは、ベルガンティが中規模都市における「異なる知の交換」のしやすさに言及していることにも納得がいった。その一方、こうしたリアルなソーシャルライフの一部がミラノにおいても、徐々にソーシャルメディアに置き換わりつつあることも気になった。

 さて、この「異なる知の交換」が日本の大企業でなかなか上手くいかない、という話を何度か聞いて、それはそうだろうなあ、と思った。特に東京の場合なら大都会のサイズ問題もあるが、「異なる知の交換」を市場調査費で実施しようとして、そう刺激的な考えが聞けるはずもない。

 お互いが構えすぎるからだ。

ミラノでは容易に親同士で仕事を聞きあえる