足利・梁田戦争で官軍勝利に協力 早川彦平の顕彰碑、徳蔵寺に帰る 栃木 (1/2ページ)

82年ぶりに戻った早川彦平顕彰碑を前に「彦平の存在を知ってほしい」と話す徳蔵寺住職の源田晃澄さん=足利市猿田町
82年ぶりに戻った早川彦平顕彰碑を前に「彦平の存在を知ってほしい」と話す徳蔵寺住職の源田晃澄さん=足利市猿田町【拡大】

 東日本最初の戊辰戦争として幕末、栃木県足利市梁田(やなだ)町で発生した梁田戦争で、地元の顔役として官軍勝利に貢献した早川彦平の顕彰碑が82年ぶりに、縁の深い徳蔵寺(同市猿田町)に戻った。配下の200人を使って、官軍に情報を提供したとされる。関係者は「歴史に埋もれた人物の足跡を知る機会になれば」と話している。(川岸等)

 梁田戦争は慶応4(1868)年3月9日早朝、官軍約200人が梁田宿を奇襲し、約3時間の戦闘の末、幕府軍約900人を敗走させた。幕府軍64人、地元住民3人が死亡。この時の幕府軍幹部には、坂本龍馬暗殺関与を供述した今井信郎(のぶお)も含まれていた。

 彦平は小山生まれ。足利市内の船問屋、早川家の養子となり、当時、梁田宿で大手の旅籠(はたご)「上総屋」を経営。200人を抱える梁田宿の顔役で、明確な記録はないが、官軍の勝利に一役買ったとされている。

 梁田戦争を調べる梁田地区史料調査委員会委員長の長谷川有三さん(81)は「梁田宿にいた幕府軍の動向を官軍に知らせ、地元住民の誘導、近隣から押し寄せたやじ馬の整理などに当たった」と推定する。彦平はその後、小山に戻り、病院や学校建設に関わるなど篤志家として知られた。