【ビジネスパーソン大航海時代】新規事業サポーターで輝く ソフトバンクOBのキャリアアップ~航海(4) (2/3ページ)

 「インターネットが世の中を変えていくと感じていました。そこでインフラであるADSL事業を手掛ける会社にいて結果を出せばやがて最先端の仕事に繋がると思いました。最初の仕事は回線の飛び込み営業。本部が作るチラシは効果が低いと感じたので自分でチラシから作成・ポスティングで成果を挙げました。これが目についたのでしょう。企画部門に異動になります。その後サイバー大学立上げやロボットなど先端の仕事に移っていきました」

 そして大野さんのソフトバンクでの集大成がiPhoneの日本展開でした。

インタビューさせて頂いた大野泰敬さん

インタビューさせて頂いた大野泰敬さん

 「2008年。日本でiPhone事業に携わっていたのがまだ数名。そのうちの1人として、当時社内でも売れると思っていなかったiPhoneの日本のマーケティング、営業戦略を担当することになりました。」

 ここで悪戦苦闘することなります。

 「当時iPhoneが売れない理由は明確でした。今では信じられないでしょうが英語のアプリしかなかったんです。日本でですよ。せっかくハードがよくても不十分です。ガラケーで目が肥えた日本のユーザには浸透しません。ミッションは日本語のアプリが出る世界を作ることでした」

 「しかし予算が全然なかったのです。その前提で国内の主要プレイヤーの方々に協力いただくためには、総合代理店がやるべきようなイベントを自分で設計して開催したり、雑誌・新聞・テレビなどで取り上げられる仕掛けを作るようなこと、そしてエンジニア向け勉強会を開催するなど地道な作業の連続でした。そのかいもあって大手ゲーム会社さんのヒットタイトルの日本語版リリースがなされ、他社も追随。軌道に乗り、ついには東京ゲームショウで講演させていただくようにもなりました」

 そしてその後iPhoneの日本の展開がどうなったのかは言うまでもありません。

2011.3.11、困っている人を助けるために独立

 誰でもわかる事例を20代で実現した大野さんがソフトバンクを辞めるきっかけになったのは東日本大震災だったそうです。

 「テレビで状況を見て居ても立っても居られず復興支援に行きました。そこには今困っている方々がいるのです。ソフトバンクを辞め、復興支援に集中するために独立までしました。自信はありましたから応援してくれる人もいるだろうと思っていました。しかし、そうはなりませんでした。ソフトバンク時代にはいつでも協力するよとおっしゃっていた方は話も聞いてくれません。大企業の看板の力で働いていたことを痛感しました。そして、出資話で騙されたこともあり預金は5000円まで減ったこともありました。今は笑い話にできますが。社会貢献だけでは食べていけないと思いました」

 そして大野さんはこう続けました。

 「自分がすごく苦しかった過去の経験からくるノウハウを活用し、困ってる人をサポートしたり、助ける活動をし始めました。これが今の自分の仕事に繋がることになります。例えば、復興支援を通じて知り合った議員や内閣府などにアドバイスをしているうちに、安倍晋三首相のご自宅でイベント開催することになり、そこから様々な社長や自治体の方とお話する機会がありました。しかしお金の話はせず、自分の能力が生かせるのであればと相談に乗っていました。そのような活動が評価されたのか、大企業から農水省に出向している方が、出向先に戻るタイミングでその企業のプロジェクトをサポートすることになりました」

きっかけと、リピート・紹介によって事業が拡大