働き方

「空気を読む」は無敵だが… 空気を吐かなければ会議は進まない (2/3ページ)

 つまり、雰囲気を察したうえで、察したことを大勢に宣伝して味方につけ、より大きな勢力をつくることで面倒な少数意見者に「うまく立ち回ろうよ」という圧力をかけて、場を収めていくのが「空気を読む」の意味するところである。僕に言わせれば、受け手に「読む」という行動を求めて、相手の主体性を尊重しているように見せかけているのがあざとすぎる。

 「空気を読む」ことは会議の場でよく行われる

 「空気を読む」は会議やミーティングといった3者以上の関係が存在する場所で耳にすることが多い。

 たとえば、会議終了時刻間際、会議の参加者一同の頭のなかで「やっと終わるぞー」「トイレ行きたい」「ランチ何食べようかな」という解放感からの楽しい気分がぼちぼちふくらみはじめたとき、「いや、僕はそうは思いませんね」つって真顔で、反論や対案を出し、終了予定時刻を大幅にオーバーさせてしまうような行為に対して、会議がお開きになったあと、「空気読めよー」と言われる。

 あるいは、方針や決定事項がまとまりそうなタイミングで、「やったー面倒な問題が一応解決したー」「まったく解決になっていないけど、とりあえず終わらせよう。責任取りたくないもん」「何か言って担当させられたくない」と逃げ切りをはかる気分になりかけているとき、「こんな中途半端な着地点で話を終えては抜本的な解決にはなりませんよ」と言い出して、議論をひっくり返したときも、事後、「お前、空気読めよー」と言われる。

 「空気を読むこと」のご利用は計画的に

 議論は白熱したほうがいい。問題は解決したほうがいい。だが、こうしたケースでは白熱した議論や明確な結論は歓迎されない。つまり、空気読めは、有意義な議論や到達しなければならない結論よりも、集団としての秩序を保つことをヨシとする考え方。個人という考え方が希薄な日本社会には、空気読むを受け入れやすい土壌があったのだろう。

 最近は、「空気読め読め大合唱」である。だが、ちょっとおかしくないか。その場をうまくやり過ごすのは、精神安定上とても有効であるのは間違いない。ただ、空気を読むということは、周りの雰囲気に合わせてあえて意見を言わないという、いわば自発的な箝口令を自分に対して強いているようなものではないか。空気を読みすぎてばかりいると、自分という存在がなくなってしまう。ご利用には計画性が必要だろう。

 もちろん、ある程度、空気を読むことは必要だ。空気を読むことが、自分の意見や考えを通すうえで有効な手段にもなりうる。たとえば会議などで、多少の意見の相違はあるが大筋は同じだから賛成するというケース。そういった場合は、大多数の意見に合わせ、大勢が決してから自分の意見を主張して汲んでもらったほうが無難である。

 多少の意見の相違にフォーカスして「皆さんにとっては小さな違いでも、私にとっては牛肉と豚肉くらいに大きな違いなのだ」とディティールに執着しすぎて、排除されて闇に葬られるよりはずっといい。

 空気を読みすぎて苦労した過去

 その一方で、空気を読むことを悪用する悪い人たちもいる。最近では忖度という言葉がそういう悪い意味合いで使われている。僕も空気を読みすぎて大変な苦労をした。以前勤めていた会社の上層部は部下に空気を読ませて、己の手を汚さずに悪事を働いていた。手を汚していたのは僕たち部下であった。

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