フリーランスの進路相談室

できないことは捨ててよし! 会社が苦手な人へおくる「フリーランスの生存戦略」 (1/4ページ)

Workship MAGAZINE
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 「フリーランス」と聞くと、「自由に」「自分の好きなことをして」「自分の強みを生かして」働くことを選んだ人たち、というイメージを持つ人が多いのではないでしょうか。かくいう私も、新卒3ヶ月目からずっとフリーランスとして生きているけれど、会う人会う人に「フリーランスなんてすごいですね!」と言われます。時に憧れの眼差しで、時に好奇の眼差しで。

 だけど実際、私は「積極的にフリーランスになった人」ではなく「会社員ができなかった人」なんです。結果的にフリーランスになっただけ。大学時代、「なんで就職する必要があるの?」という疑問から就活の波にも乗れず、卒業していく友人らを横目に休学して、いろいろな生き方をする大人たちに会いに行きました。

 フリーランスという存在を知ったのはこの時だったけれど、何の経験もスキルもない私がそうなれるとは思えず、NPOに就職。けれど、あまりに仕事ができず、3ヶ月で退職することに。そうして、私は「フリーランス」になりました。会社員になることができなかったから。

 今回お話をうかがった竹熊健太郎さんは、そんな「フリーランスにならざるを得ない人」について言及した著書を書いています。

 タイトルは、『フリーランス、40歳の壁』。

 胸に迫るタイトルです。まだ20代の私でも、「ドキッ」と「ギクッ」の間みたいな反応になります。

 1980年からフリーランスの編集者として活動し、『サルでも描けるまんが教室(通称:サルまん)』『庵野秀明 パラノ・エヴァンゲリオン』などのヒット作も持つ竹熊さん。そんなフリーランスの大先輩が言う「40歳の壁」という言葉は、とびきり重く感じられます。

フリーランスという生き方をしている人たちの中には、5年後10年後のキャリアのビジョンを描き、着実に進んでいる人もいるでしょう。けれど、私のようにこのタイトルを見て「会社員になれずにフリーランスになったのに、フリーランスで生きるのも難しいの?」なんて、ギクッとしてしまう人もいるんじゃないかと思います。

 「自由業にならざるを得なかった人」たちのフリーランス人生は、往往にして急に始まってしまい、その後の計画を立てるのも難しく、ハイリスクなものが多いはず。

 それでも、そうしなくちゃ生きられない人たちは一体どうしたらいいの?

 ということで、人生の先輩にアドバイスをいただきに行ってきました。

聞き手:中西須瑞化

新卒で入社したNPOを三ヶ月で退職しフリーランスになった文筆家。のちに生育環境や発達特性によるさまざまな問題を自覚し、上手く自分と付き合っていく方法を模索中。

「アジール」から始まったキャリア

中西:竹熊さんといえば、大ヒットした『サルでも描けるまんが教室』の作者として、またオンライン漫画誌『電脳マヴォ』の編集長としてご存知の方もいるかもしれません。まずは読者の皆さんのために、竹熊さんの経歴をざっとまとめてみました。

中西:竹熊さんは20歳でフリーランスになったんですね。

竹熊:そうそう。僕のキャリアは、ある出版社で自販機本を作る手伝いから始まってます。知ってる? 自販機本。

中西:名前は聞いたことあるんですけど、見たことはないですね。

竹熊:当時は自販機で売る自販機本が結構メジャーだったんですよ。いわゆる自販機エロ本ってやつ。で、そこからフリーの編集者になって、自分でも本を出したり、漫画評論家のような仕事をしたり、大学での講師業もやったり。いまはさっき挙げてくれた『電脳マヴォ』というWeb雑誌の編集長もしています。

中西:学生の頃からライターや編集業をされていたんですね。

竹熊:当時は大学生たちによるミニコミ(同人誌)ブームがあってね、学生時代からそうした冊子の企画や編集に携わっている人が多かったんですよ。僕は専門学校に通っていたけれど、出版社から声をかけてもらったのを機に学校は辞めてしまいました。いまよりもずっと、出版業界で若者が活躍していた時代だったんだよね。学生が出しているミニコミが人気になって、大企業が広告を出すような。

中西:へぇ、すごいですね! いい時代だな。

竹熊:僕が出入りしていた編集部もね、なんというか「アジール」のような場所で。学歴とか関係ない世界で、まぁ変人ばっかり集まってたんですよ。メチャクチャだったけど、面白かったね。

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