高論卓説

次世代の心に影響を及ぼす五輪開催

五輪という魔物に飲み込まれる政治

 今年は東日本大震災から10年。被災し生活を失った人、肉親や知人を亡くした人には節目となる大切な年だ。もちろん日本という国にとってもそれは変わらない。しかし、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)によって追悼どころではなくなってしまった。

 いま開催に向かって突き進んでいる東京五輪・パラリンピックは、震災復興が最大のテーマだった。復興庁の「復興五輪ポータルサイト」にはこう記されている。「~復興しつつある被災地の姿を世界に伝え、国内外の方々に被災地や復興についての理解・共感を深めていただくこと、~競技開催等をきっかけとして来ていただいた被災地の観光地等を通じて、被災地の魅力を国内外の方々に知っていただき、更に被災地で活躍する方々とつながっていただくことで被災地への関心やつながりを深めていただくこと~」(一部略)。

 この理念がパンデミックによって根底から覆されてしまった。菅義偉首相は、先週閉幕した通常国会の冒頭、1月18日に行った施政方針演説において、「東京五輪・パラリンピックは、人類が新型コロナに打ち勝った証しとして、また、東日本大震災からの復興を世界に発信する機会としたい」と述べた。

 ワクチンの開発や接種が大きく立ち遅れた日本には、海外から観戦目的の観光客は来ない。もちろん、世界のトップアスリートと日本の市民、子供らとの交流も行われない。首相は“安全安心”を繰り返すばかりで、新型コロナに打ち勝った証しは全く示せていない。

 当然、国民からは「何のための開催なのか」という疑問が投げかけられているが、それには答えず、先の先進7カ国首脳会議(G7サミット)において各国の支持を取り付け開催を既成事実化させてしまった。しかし考えてみれば、たとえ失敗しても他の6カ国にはひとごとなのだ。

 五輪・パラリンピックがこのまま開催されて最も心配なのは、感染のリバウンドではない。政治への信頼の崩壊である。いっていることとやっていることが異なる言行不一致、相手や対象によって態度、方針を変えるダブルスタンダードなどは、人々が社会生活を営む上で決してやってはいけないことである。

 小中学生の修学旅行はほぼ中止、高校生の部活も制限され、大学生の多くはキャンパスに通えずリモートでの授業を強いられる中で、海外から大勢の選手、関係者が狭い東京都心部にやってくる。彼らがどこに滞在しいかにして移動するのか、全てが水面下で議論されている。国民には全く知らされないままに進められているのだ。

 復興五輪の理念が具体性を失い、新型コロナに打ち勝った証しも示せないままでも開催できるというのは“大人の論理”である。それは間違いなく、次代を担う若者、子供たちの成長に影響を及ぼす。「自分たちが目標としていたこと、楽しみにしていたことを奪っておいて五輪・パラリンピックだけはやった」という小中高生、大学生の思いはこの先、消えることはないだろう。それは、前の東京五輪、1964年当時、小学1年生だった私が経験したものとは全く異なる、心にしこりの残る思いである。

 日本外交史が専門でスポーツの世界にも造詣が深い慶應義塾大学名誉教授の池井優氏はその著書『近代オリンピックのヒーローとヒロイン』(2016年、慶應義塾大学出版会)の冒頭、「オリンピックは魔物である」と書かれた。政治はいま、その魔物に飲み込まれようとしている。

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【プロフィル】井上洋

 いのうえ・ひろし ダイバーシティ研究所参与。明大講師。早大卒。1980年経団連事務局入局。産業政策を専門とし、2003年公表の「奥田ビジョン」の取りまとめを担当。産業第一本部長、社会広報本部長、教育・スポーツ推進本部長などを歴任。17年退職。東京都出身。 

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