「生きているうちに事件の舞台裏を伝えたい」 イトマン事件、OBが激白 (2/3ページ)

イトマン事件について語るイトマンOBの傍士倶明氏
イトマン事件について語るイトマンOBの傍士倶明氏【拡大】

  • 許永中氏への論告求刑公判が行われた大阪地裁の法廷(代表撮影)=平成12年11月14日

 住銀会長の懐刀

 イトマン事件は、昭和末期から平成初期にかけて起きた特別背任事件。不動産事業で損失を抱えていたイトマンが反社会的勢力に取り込まれ、絵画取引やゴルフ場開発などの名目で巨額の資金を流出させた。

 これにより、主力取引銀行だった住友銀行(現三井住友銀行)は約5千億円の損失を計上。住銀出身の河村氏や常務の伊藤寿永光(すえみつ)氏、フィクサーとして知られた許永中(きょ・えいちゅう)氏らが特別背任容疑などで逮捕され、実刑判決を受けた。

 河村氏は住銀頭取・会長の磯田一郎氏=5年、80歳で死去=の信頼が厚く、石油ショックで経営不振に陥ったイトマンを立て直すため、昭和50年に同銀から出向し、社長に就任した。

 33年の入社以来、イトマン一筋だった傍士氏によると、河村氏は「売ってから買え!」を口癖に、繊維製品の在庫を一掃。わずか2年で黒字に転換させた。「次の社長は銀行からの出向ではなく、生え抜きを出す」と公言し、社員から慕われていたという。

 怪しげな投資話

 豪腕でイトマンを再建した河村氏は、1985年のプラザ合意以降の急激な円高による繊維不況もあり、繊維商社から総合商社への転換を目指して拡大路線を突き進む。それが、イトマン事件で中心的な役割を果たした伊藤氏と許氏を呼び寄せることになった要因でもある。

 傍士氏は「次の社長を送り込みたい銀行側の意向がある中で、長くイトマンにとどまりたい河村さんは業績を伸ばす焦りがあったのかもしれない」と推測する。

 一方、住銀の磯田氏もメーカーに積極融資する姿勢を取っており、収益を伸ばすためにイトマンを仲介して不動産を中心とした融資を進めていた。

 それに目を付けた経営コンサルタントの伊藤氏が平成2年2月、住銀名古屋支店の紹介でイトマン入り。暴力団関係者が背後にいるといわれた伊藤氏は、怪しげなゴルフ場開発や土地購入の話を持ってきては河村氏に投資を勧めたという。

事件の教訓、今も