高論卓説

コロナ禍にこそ求められる公僕の在り方 人々の価値観、自由意思踏まえ対策を

 IT化の浸透がDX(デジタル・トランスフォーメンション)に発展し、人々にとって有益な情報が有機的に結びついて合理的に行動できるようになると期待されているこの時代、新型コロナウイルスのパンデミック(世界的大流行)に1年も苦しむとは夢想だにしなかった。(井上洋)

 毎日発表されるPCR検査の陽性者数や死亡者、重症者数は、いまだに指折り数えるアナログの数値であり、それぞれのプロファイルも示されないままだ。担当大臣や知事らによるメッセージは、毎日の総数だけで危機をあおるものであり、DX時代にふさわしいデータ解析を踏まえてはいない。

 最初の緊急事態宣言が出されて1年が経過し、このウイルスの日本における脅威の程度はつかめたはずだ。新型コロナ感染による死亡者が数多く出た欧米各国と比べて日本は全ての死因を含む超過死亡者数は相対的に小さい(国立感染症研究所の分析)。世界でもまれなこの状況は、行動抑制にドライブをかけ続ける政府、自治体にとって「不都合な真実」なのだろうか、ほとんど話題にすらされていない。

 死亡者、重症者は高齢者や基礎疾患を持つ者に限られ、若者を含め健康な成人はおおむね無症状か軽症である。誰もが、自身の生活には支障の出ない軽い病気であると実感している。

 もちろんワクチン接種は急がれる。しかし、国内での開発、生産がいまだに成されていない日本の立ち遅れは明らかである。五輪・パラリンピックの開催のためにワクチン接種を加速させなければならない状況にもかかわらず、この体たらくだ。五輪開会まで100日を切り、各地で聖火リレーが行われているが、その中で「仕事や大学の授業をリモートにしろ」「小中高の部活はやめろ」「生活維持の目的以外、外出するな」といえるものなのか。その矛盾に、政府も自治体も明確に答えていない。

 そもそもワクチンの早期接種や重症者向けの病床確保、円滑な入院調整などは国民の我慢や努力で進むものではない。現在の危機は、国民の気の緩みによる感染の再拡大ではなく、活動が活発になる春に行動抑制の措置をかけるだけのことしかできていない政府や自治体の機能不全によりもたらされているといえる。

 国民は公に対して不信の念を抱き始め、また感染の再拡大が自分自身の責任ではないと判断して行動しているのだ。心のなかにある反抗の意思表示として、聖火リレーを一目見ようと集まったり、繁華街にみなで繰り出したりしているともいえよう。

 公を担う者、すなわち公人に求められるのは、この世にさまざまな価値観を持つ人々がいて、それぞれ生きる意味を模索している姿勢に敬意を払うことである。「特措法」があるからと人々を縛り付け、言いなりにさせることができると考えるのは誤りである。公僕である以上、人々の生活に思いをはせ、人々に奉仕するという観点から、科学的に見て今どのような対策が必要であり、それがどの程度の効果をもたらすかを数値化して示し頭を下げるべきなのである。

 個人の価値観や自由意思は、命とはかりにかけるものではない。「欲しがりません、勝つまでは!」では、戦時体制下と全く同じである。われわれは、今この事態に公僕たる政府、自治体の公人の態度を注意深く監視しなければならなくなってしまった。

【プロフィル】井上洋 いのうえ・ひろし ダイバーシティ研究所参与。明大講師。早大卒。1980年経団連事務局入局。産業政策を専門とし、2003年公表の「奥田ビジョン」の取りまとめを担当。産業第一本部長、社会広報本部長、教育・スポーツ推進本部長などを歴任。17年退職。東京都出身。

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