ラーメンとニッポン経済

1971-「なぜか無性に食べたくなる」 京都発!ドロドロ濃厚『天下一品』は裸一貫、脱サララーメン (1/3ページ)

佐々木正孝
佐々木正孝

 「なぜか無性に食べたくなる」「飲み干せずにはいられない、あのスープ…」。そんなラーメンは数あれど、箸が立つほどこってりした『天下一品』の一杯は、その最右翼と言えるだろう。この人気チェーンが生まれたのは京都の一乗寺。典雅で枯淡印象のある京都の食シーンから、なぜこのような極濃厚ラーメンが生まれたのか? その時代に誕生したラーメン店に焦点を当て、日本経済の興隆と変貌、日本人の食文化の変遷を活写していく本連載。今回は、京都から名乗りを上げた濃厚ハマり系ラーメン『天下一品』をクローズアップ。70年代初頭に訪れたパラダイムシフトを追う。

■飢餓から飽食へ-総中流社会に濃厚ラーメンがくさびを打つ

 君は天下一品のラーメンを食べたことがあるか? 

 上品に言えばポタージュ、有り体に言えばゲル。レンゲを沈めんとする際の反発係数は、もはや液体ではない。超ドロドロ、濃度というよりは粘度で計りたい。そんなスープなのだ。ドロリとした舌触りの先に味蕾が感じる旨みは、鶏の重厚なシルエット。後口は決して鈍重ではなく、鶏由来のコクと香りに昇華する。醤油ダレの香りも食欲を後押しし、箸とレンゲの無限ムーブが止まらない。

 中細麺を引き上げればスープがねっとり絡みつき、みるみるスープ水位が下がっていく様にも、眼を見張るだろう。この無二なラーメンは今や日本、アメリカで230店以上のフランチャイズチェーンを拡大。フリークのみならず、広く一般層にも「天一」として親しまれる味だ。

 このラーメンを創業したのが木村勉。1971年、京都は銀閣寺そばでラーメン屋台を引き始めた叩き上げの硬骨漢だ。創業当時、木村は36歳。15年も勤めた絵画販売会社が倒産し、全財産は3万7000円というどん底からのスタート。初期投資もなく始められるのはラーメン屋台しかなかった。

 自分で拾い集めた廃材を友人の板金職人に組み立ててもらい、ベニヤにトタン板を乗せて屋台をこしらえた。鍋を買う金もない。ガソリンスタンドから譲ってもらったオイル缶を幾日もかけて洗い、鍋にした。食材を満足に買う金もない。ネギ一束も買えず、1本ずつ購入。これぞ自転車操業という綱渡りの始動だった。

 当時のラーメンは1杯80円、初日の売り上げはわずか11杯。「どこの屋台でも出してはる鶏ガラスープ」だったというが、彼は屋台商売のかたわら新スープの開発に没頭。濃度を高めるだけではなく玉ねぎ、にんじんなどの野菜を加えて甘み、旨みもブーストしていく。そして誕生したのが、現在の味わいに連なるこってりスープである。スープ開発からほどなくして木村は屋台を卒業。北白川に店舗を構え、1日1000杯以上、休日には1800杯を売り上げるお化け店舗に成長させていく。

 ここで70年代初頭の世相、経済事情を振り返ろう。1970年は国勢調査によると日本の総人口が1億人を超えた年だ。また、同年の「国民生活に関する世論調査」では、自らの生活程度を「中の上/中の中/中の下」と評価する人が9割を超える。かくして到来したのが「一億総中流社会」。ちなみに、敗戦直後の飢餓状態を調査するために始まった「国民栄養調査」でも、1971年には「栄養欠乏」に関する項目が削除され、代わりに「肥満」調査が取り入れられている。

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