海外情勢

イラクに宗派・民族の壁、和解を困難に 行く末占うフセイン「負の遺産」克服

 【試練のイラク(下)】 高速道路ではタイヤが燃やされ、広場は声を上げる若者たちで埋まった。2019年10月、汚職拡大や経済低迷への怒りからイラクの首都バグダッドで始まった反政府デモは、数カ月続き、治安部隊との衝突で600人近くが死亡した。

 デモでは赤、白、黒のイラク国旗が多数掲げられた。政界の腐敗撲滅とともに国民の団結を求める若者たちのメッセージだ。イラクはイスラム教シーア派が人口の6割以上を占め、残りは大半がスンニ派と、独自の言語を持つ少数民族クルド人で構成される。

 当時、デモに一時加わったバグダッドの政治評論家ワエル・シュクル(43)は、団結を妨げてきた宗派・民族対立について「過去ではなく未来を向かなくてはならない。国民統合が実現すればこの国はよくなる」と主張した。

 イラクでは聞きなれた言葉だが、実際はそう簡単ではない。政党も有権者も宗派・民族別に分かれており、他の集団への不信感も根強い。それを植え付けたのがサダム・フセイン独裁政権(1979~2003年)だ。

 少数派のスンニ派に軸足を置くフセインは、シーア派やクルド人を虐殺して恐怖による統治を進めた。03年のイラク戦争開戦でフセインが排除されると多数派のシーア派の怒りが噴出、スンニ派との間で激しい宗派抗争も起きた。

 フセイン打倒で中央政府の主導権はシーア派に移ったが、民族和解の困難さを示す事例は最近も起きた。米英の保護を背景に06年に自治政府を発足させたクルド人が17年、独立の可否を問う住民投票を強行。賛成が9割を超え、危機感を抱いた中央政府は自治区に経済制裁を科し、軍も進駐させて独立の機運を封じた。

 しかし、今月10日に実施されたイラク国会(定数329)総選挙では、宗派・民族を分かつ壁に小さな穴が開いた。19年のデモを受け、政党ではなく候補者に投票するよう制度が改正され、政党と無縁の独立候補の当選に道が開かれた。

 デモの主役だった若者世代に限れば失業率は40%近くに達し、苦境は何ら改善されていない。デモ参加者の一部は選挙ボイコットを呼びかけた。ただ、「出馬した独立候補の多くは民族を超えた民主化の実現を訴えた」(バグダッドの50代男性)といわれる。

 宗派や民族にこだわらず選挙に出馬した人もいた。シーア派信徒ながらスンニ派主体の政党から立候補した退役軍人のサラム・アラウィ(66)は、「出馬政党を選ぶ際に重要なのは、国民全体の利益になる政策を打ち出せる党かどうかだ」と話した。

 独立候補の当選は10人前後にとどまる見通しで、国民和解と民主化への道はなお険しい。政治不信も広がって、選挙の暫定投票率はイラク戦争開戦以後では最低の41%にとどまった。

 だが、原理主義勢力タリバンが実権を掌握し、部族に基づく統治を進めるアフガニスタンなどとは明らかに事情が異なる。

 フセインの「負の遺産」の克服はイラクの行く末を占う重要な意味がある。(バグダッド 佐藤貴生)=敬称略

Recommend

Ranking

アクセスランキング

Biz Plus