働き方

フェンシング、五輪金に導いた「世界一」の手袋職人と選手の絆 (2/2ページ)

 重視するのはジャストフィット感

 勝弘さんは約60年前に手袋工場に勤め始め、昭和63年に独立。防寒用などを製造していたが、平成16年頃、フェンシング選手だった次女の夫に頼まれ、海外製を買ってきて見よう見まねで試作した。

 18年に商品化すると、高校総体で使用した4校のうち1校が団体、個人で優勝し、たちまち評判となり各校から引き合いが殺到。中高生から手紙や電話で「指が動かしやすく、もう他のグローブは使えない」と感謝されるのが何よりの励みだ。

 重視するのは、ジャストフィット感。大量生産の海外の既製品とは異なり、各選手の指の幅や長さなどの細かいサイズに合わせ、約30ものパーツを縫い合わせることで細かい動きが可能になる。試合時間が経過するにつれ握力がなくなるので曲げやすい柔らかさも重要だ。種目によっても求められる特性が違うので部位によって素材を使い分ける。

 エペでは全身のどこを突いても有効なので手が一番狙われやすく、ユニホームと同じ色にして目立ちにくくしたり手の甲側は剣先が滑って突けないように滑る素材にしたりといった具合だ。

 日本代表には18年に江村宏二監督に頼まれて提供を開始。バルセロナ、アトランタ両五輪出場の市ケ谷広輝さんとともに試行錯誤を繰り返し、太田雄貴さん(北京五輪銀)、千田(ちだ)健太さん(ロンドン五輪銀)ら歴代代表選手らの意見を取り入れて進化を続けてきた。

 勝弘さんが型抜き機でパーツを作り、かずゑさんがミシンで縫い合わせる、息の合った連携プレー。手間がかかり1日4、5枚がやっと。作られる数は決まっており、質を落としてまでも増やすつもりはない。視力が衰え、一日中の立ち仕事もしんどくなってきた。金メダルの数日後、勝弘さんには「15年の節目、最高の結果で引退」という思いが一瞬よぎったというが、宇山選手らからは「3年後のパリ五輪も」と切望されている。(和田基宏)

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